写真家・がん患者の幡野広志さんが体現する生き方
就職・転職を親に反対された―
職場で上司・先輩の言いなりにしか動けない―
自分を見失いそうになったとき、幡野さんのことばは、そっと背中を押してくれる。
幡野さんは、複数の写真賞を受賞している写真家で、3歳の息子の父親。
そして2017年に、34歳の若さで余命3年のがんを宣告されている。
幡野さんの眼差しに、絶望どころか希望さえ感じさせるのは、
「自分の人生は自分の手でいくらでも選び直せる」
という生き方を、自身が体現している自信からなのかもしれない。
(経歴)
1983年東京生まれ。2004年日本写真芸術専門学校中退。2010年広告写真家高崎勉氏に師事し、「海上遺跡」Nikon Juna21受賞。2011年独立し、結婚する。2012年エプソンフォトグランプリ入賞。2016年息子誕生。2017年多発性骨髄腫を発病し、現在に至る。
著書「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」(2019年5月、ポプラ社)が好評発売中のほか、「幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう。」をcakesで連載している。
「J-POP」の歌詞みたいな励ましはいらない



―2017年に余命3年と宣告されました。
人生が一変したといっても過言ではないと思います。
よく言えば充実した2年間でした。
好き勝手に色々なところへ行って、がん患者などを取材して、好きなものを食べて…。忙しかったですけど、楽しかったですね。
―辛さはないですか?
辛さはないです。
自分自身で、人間関係など全てを選び直しましたから。
病気になる前の人間関係などを持ち込んでいたら、多分こうはなっていなかったはずです。
―「選び直した」を具体的に教えていただけますか?
がんになった34歳の前後で、人間関係がガラっと変わりました。
病気になる前から連絡を取り合っている人は片手にも満たないです。
結局、関係を絶って正解だったと思っています。
―病気の前後で人間関係が、なぜ変わった?
新しい人間関係を作れば、「病気になってしまってかわいそうな人だ」と見られなくて済むからです。自分を楽にさせてあげられるように自分で人間関係を変えました。
例えば、自分の友人ががんになったとして、どういう顔をしてお見舞いに行きますか?
―どんな顔をしていいか分かりません
お見舞いの時点で、お通夜みたいな顔でして来るんですよ。
それは健康な時の僕を知っていて、「病気という不幸が起きて、健康な時から下がってしまった」という認識を持つから。
でも、僕という存在のスタンダードは病気になった今です。
―もし、友人や親戚が病気になったとしたら、なるべく変わらない態度で接するのがいい?
なるべく変わらない態度がいいと思います。
これはお見舞いあるあるなんですが、みなさん急に、名コピーライターにでもなったかのように、会心の一言を言おうとします。
でも、それはだいたい地雷です。
「神は乗り越えられない試練は与えない」とか。
「知らねーよ」って話なんです(笑)。
僕はJ-POP系の励ましと呼んでいるんですけど、J-POPみたいな励しが本当に多い。
そうではなく、患者側の気持ちを聞くだけでいいんです。
患者側と周りの人たちで食い違ってしまっている。
当事者側がこういうことをきちんと発信していけば、変わると思いますけどね。
「人生をもう変えることができない」と思っている人へ



―著書「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」(2019年5月、ポプラ社)を出版しました。
人間関係で悩んでいて、「現状・人生をもう変えられない」と思っている方がたくさんいますが、「そうじゃないんだよ」と伝えたくて、このタイトルにしました。
この本は、要は親を選べる、絶縁してもいいという本です。
―タイトルには「僕」…つまり、幡野さんも入っていますよね。
「自分の人生を選ぶ」というのは自分事でもあることなので、「僕」という言葉も入れました。
僕も自分の人生を生きるため、病気になってから親とは一切会っていないですから。
がんになり、僕が選んだ治療を親から反対されたので、それ以降親とは会っていません。
―幡野さんはどういうことを伝えようと思った?
がんになると、患者やその家族を集めて話をしてもらう会があります。
僕は血液がんという種類のがんで、そういう会に参加していましたが、胃がんや大腸がんの患者、若い方も年取った方、色々な方がいました。
話を聞いていると、病気の種類や年代に関わらず、結局皆さん同じような目にあっていました。
だから僕は、病気の種類や苦しさのことではなく、「病気になるとこうなる」ということを伝えた方がいいと思いました。それは健康な人にも関係ある話ですから。
―「皆、同じような目にあっていた」とは?
あなたは、大手新聞社からベンチャーに転職していますよね。
家族から反対されませんでしたか?
―されました。
それと同じ状況です。
がんになって、何かしらの治療を選択したら、それに対して反対をされる。
「否定と押しつけ」と僕は呼んでいますが、これに近いことを皆さん経験されていた。
別にがんではなくても同じような目に合っている人はたくさんいて、話を突き詰めていったら最終的に人間関係、特に親子関係の話に着地しました。
息子にも「選んでいいよ」と伝えたい



―「否定と押しつけ」とは?
簡単に言えば、スーパーで好きなお菓子を選んだ子どもを親が否定して、「これにしなさい」と言っているようなものです。
何歳の子どもにも自分の好きなお菓子を選ぶ権利はあって、親の押しつけに従う必要はないはずです。
―幡野さんにも3歳の息子がいます。
そう、親を選べるというのは僕に対しても降りかかる話です。うちの息子も僕や妻のことも切ってもいいわけです。
例えば、僕があと何年かで死んだ時、確実に周りから「お母さんのことを大事にね」と押し付けられるんですよ。「お父さんが見守っているからね」とか言われるでしょう。
いい子でいなければいけない、不良になることも許されない。
息子にとっては窮屈でたまらないですよね。
本人には関係がないことです。
息子自身にも、「君だって選んでいい」ということを伝えたい。
好きに生きて欲しいですよね。
―その考え方は、がん患者への取材から来ている?
がんで親を亡くした子ども、「がん遺児」に沢山会ってきましたが、多くの方が苦しんでいました。
話を聞くと、親戚などから「(亡くなった)○○さんはいい人だったよ」と褒めちぎられるそうです。何となく想像はつきますよね。
でも、本人(がん遺児)からしたら、「死者のことを良く言っているだけではないか」と疑問に思う。
「いい子であれ」みたいなことも言われて。
本当に可哀そうだと思います。
「亡くなった人間がどんな人間であったか」を判断するのは本人であるべきで、そのために自分の言葉を遺しているという面もあるかもしれません。
いずれ僕の子どもは僕が書いている文章を読むはずです。
その時に、「自分の父親がどういう人間だったか」が分かるようなものを遺したいとも思っています。
自分の人生を生きていくために



―「選ぶ」という話が出ましたが、好きなものが無くて選ぶことができない人もいる。
大学の講義に講師として登壇した際に、大学を親に決められた人がいました。
そういう親って、今度は就職先にも口を出すはずです。
そして、結婚相手や結婚生活についても口を出すようになります。
突き進めていくと、そういう親って子どもの好きなことを否定しているんです。
だから、親子関係が悪い人って、結局好きなことを否定され続けてきた人なので、まず好きなものを見つけた方がいいと思います。
それができてから原因である人(親)と離れた方がいい。
ただね、好きなことを否定され続けてきた人って何が好きか分からなくなってしまっていて。本当に根深い問題だと感じています。
―好きなものは、どのように見つけたらいい?
これはもう音楽聞くとか映画見るとか、本読むとか旅行に行くとか…そういうことをするしかないと思います。
好きなものを否定されて押し付けられてきた結果だと思うので、自分の子どもにはそういうことをしないようにと心に決めています。
自分の子どもに好きなものを見つけて欲しいと思うから、あえて否定せずに選んでもらう教育をしています。
―新人教育にも「否定と押しつけ」がある気がします。
子育てと新人教育って似ていますよね。
他の業界を知らないので、比較はできないですが、撮影業界っていわゆるパワハラが酷くて、暴力もたくさんあります。嫌で逃げ出してしまう人もたくさんいます。
でもそれって凄く勿体ないですよね。
何か指示を出した時に、基本的に僕は怒らないですし、どんなに作業が遅くても待つようにしています。
だって新人の子は慣れないことで、時間がかかってしまうのは仕方がないことですし、そこでギャーギャー怒っても余計に慌ててしまうじゃないですか。
僕もやられたことではありますが、それをやらないようにしました。
待つことと、怒らないようにすること。後は任せるのなら任せてしまうようにすること。
自分で言うのもあれですけど、他の人が教えるよりもはるかに若い人の伸びは良かったです。何より信用してくれました。
「ガミガミ怒って褒めてくれない人」と、「待ってくれて怒らない人」のどっちに付きたいかといえば、後者ですよね。
そうすると好きになってくれて頑張ってくれますし、伸びも早かったです。
嫌いな人に何を言われても嫌じゃないですか?僕も嫌ですもん。
そうやって若い人を育ててきた経験が子育てにも活きていますね。
―なぜ他人に否定と押しつけをしてしまうのでしょう?
世代だと思っています。
それこそ今の60~70代ってお見合い結婚が一般的で、結婚相手すら決められている時代でした。仕事や働く場所…今ではなかなか理解できないですが、そうしたことが自分の意思無しで決められていました。常に「否定と押しつけ」の時代だったと僕は思います。
今年くらいから変わっていけばいいんじゃないですか。
令和になったことですし、平成の人はもう「否定と押しつけ」の時代とは離れるべきですよ。
―自分の人生を生きていくためにはどうしたらいいのでしょうか?
やっぱり好きなことをすることだと思います。
自分の人生を生きずに、親の人生の添え物になってしまっている人は結構多いです。
親からすると、「私の子どもなのだからこうしなさい」と押し付けているんでしょうね。
でも、他人の人生の添え物はちょっと厳しいですよね。
しかも親子って20~30歳ぐらい離れているんですよ?会社でそんな年上の人の言うこと聞けますか?聞けないですよね。
そんな年も離れてしまったら合うわけがない。
だから、好きなことを見つけておくといいですよ。
―幡野さんは写真が元々お好きだったんですか?
別に好きでは無かったです。
元々趣味が無く、18歳ぐらいの時に何か趣味を持とうと思って始めたのが写真です。
写真撮っているってオシャレじゃないですか(笑)。
聞こえがいいというか不純な動機で始めました。
女の子にモテたいとかそういう発想です。写真を始める人って大抵感じですよ。
そうじゃない人がいたら呼んで欲しいです(笑)。
「少しおこがましいかもしれないけど、人の幸せを願えることが本当の幸せではないかと思っています」



―ネット上では幡野さんに対して、多くの人から人生相談や悩みが寄せられています。答える義理もないものに、回答しているのは何故?他人を救いたい、助けたいという気持ちから?
救いたいとまでは思っていないですし、思ったことを書いているだけです。
でも、病気になってからよく思うことがあります。
それは、「言葉一つで人を死に追い込むこともできるし、言葉一つで救うこともできる」。
だったら、救っていた方がいいですよね、わざわざ追い込む必要はないでしょう。
―幡野さんにとって、「人生における幸せ」は?
お金、異性…色々あるとは思いますが、いざ死に際になってくると、割と全部どうでも良くなります。
だってお金をあの世に持っていけるわけでもないですし、息子が自分で稼げばいいだけです。
そういう欲みたいなのが無くなった代わりに、代わりに自分の子供や妻、自分の友達…など他人の幸せを願うようになりました。
少しおこがましいかもしれないけど、人の幸せを願えることが本当の幸せではないかと思っています。
自分の幸せは…うん…、いいかな。
自分なりの幸せを持った上で、他人の幸せを願うことが一番いいんじゃないかな。
―最後に、20代や30代にアドバイスをお願いします
大事なのは、今の価値観でものを考えることだと思います。
大企業だって潰れる時代ですし、経済状況だって親の時代とは違っています。
だから、20~30歳上の親の言うことだけ聞いていると危険な気がしています。
今の状況を見て、3年後を予測するくらいがいいんじゃないですか。
結局、他人の言うことを聞いている人って、指示されたことをやるだけだから、後悔しちゃうんですよ。
過去がどうだったのかを見て、今どうなのかを把握して、自分で考える、ということが大事だと思いますよ。