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新中道さん体験記1

ホテルからフリーランスを経て、IT企業に転職するまで①(ホテルへの入社編)

転職体験記 2019.09.02

我ながら、波乱万丈な人生を生きてきた。

25歳の僕のこれまでの人生について話したいと思う。

オーストラリアの高校と大学に進学後、新卒でホテルに就職するも、8か月ほどで退職。フリーランスになったが、IT企業に再就職し、再び会社員になった。

 

入社1年目で退職し、フリーランスに、そしてフリーランスから再び会社員に戻った男の転職エントリ。

 

世間では、フリーランスの素晴らしさばかり強調されているが、僕はフリーランス時代に地獄を味わった。

そうした経験やフリーランスの再就職事情などについても話をしていきたい。

子守歌は「エミネム」 海外志向の強かった学生時代

洋楽好きな両親を持ち、子守歌で「エミネム」を聞かされていた僕は、海外に強いあこがれを抱いていた。

 

「いつか海外に行きたい」

 

そんな念願が叶い、オーストラリアの高校と大学に進学することになった。

大学1年の頃に、ツアーガイドのアルバイトを募集しているのを見つけ、すぐに応募した。昔から人に喜んでもらうことが好きだったことと、オーストラリアの魅力をより多くの日本人に知ってもらいたいという思いがあったからだ。

面接に合格し、大学1年の7月頃からツアーガイドとして働き始めたが、最初は全くうまくいかなかった。お客様からの信頼を全く得ることが出来ず、笑顔を見ることができなかった。

 

「どうすれば一生の記憶に残る旅にできるだろうか」

 

バスに乗っているとき、買い物しているとき、どうすればお客様に喜んでもらえるかということだけをとにかく考えた。

そこで、それまでマニュアル通りの案内をすることが一般的だったのだが、すべて辞めることにした。

自分の言葉で、自分の体験談を踏まえながら観光客の興味がありそうなことを伝えることだけを意識した。その努力が実を結び、2年目には世界で数名しか選ばれない「エクセレントガイド賞」を受賞し、この上ないやりがいを感じた。

エクセレントガイドの賞を取ったときの写真

そうした経験から、もっと多くの方におもてなしするため一流のサービスを学ぼうと、外資系のホテルに入社を決めたのだった。

そして大学を卒業後、首都圏にある外資系の4つ星ホテルに就職した。サービスのプロになりたいと思い飛び込んだが、現実はそう甘くはなかった。

 

ホテル業界の虚像と実像

ホテル業界のキラキラした雰囲気に惹かれて入社したのだが、現実はそんなことはなかった。

 

僕の働いていたホテルでは、低賃金・長時間労働で、他のサービス業と大差はなかった。

一部の有名な老舗ホテルでは賃金は少し高いが、マニュアル通りの完璧な接客を強いられることが多い。

大部分のホテルは低賃金で長時間労働なので、ホテル業界への転職や就職を考えている人はよく考えてほしい。

 

僕の場合、手取りは12万円ほど。

都内で一人暮らしをしていると手元にはほとんど残らなく、生活がかなり苦しかった。

 

一般的なホテルとは仕組みが異なり、チェックイン・チェックアウト・コンシェルジュ・ベルマンの業務をすべて1人で担う。

繁忙時は5人の宿泊客を同時に対応するなど、目が回るほどの忙しさだった。ずっと走り回って仕事していた。

だんだんと宿泊客へのサービスの質を高めることよりも、その日をどう乗り切っていくかを考えるようになった。目が回るような忙しさに加え、不規則なシフトが続いたりして肉体的にも辛くてしんどかった。僕だけではなく、他のスタッフも追い込まれていて、休憩室では、机に倒れこむように寝ているスタッフを見た。

 

「このまま働き続けていて大丈夫なのか?」と思うようになっていった。

40歳代で手取り24万円!??

外資系ホテルで一流のサービスを学ぶことができ、充実もしていた。しかし、ある出来事をきっかけに転職への思いが強くなった。

それは、たまたま上司の給料を知ったことだった。

 

40代で手取り24万円

 

このまま重労働で低賃金が続くのは耐えられないと転職を真剣に考え始めた。

大体入社して1ヶ月くらいだったと思う。

 

ただ、「次を決めずに辞めるのではなく、今できることから始めよう」と思い、働きながら副業をすることにしたのだった。目を付けたのは、資金ゼロから始められるIT関連での事業だった。

実はオーストラリアに留学していた大学時代に留学情報を発信するブログを運営していたので、「ホームページの制作ならできる」と始めてみることにした。

しかし、現実は甘くなかった。

 

 

商品として売れるほどの質のホームページは作れず、働きながら空き時間はすべてコーティングやデザインの勉強をした。

通勤中やご飯を食べる時間など、とにかく時間を見つけては勉強していた。そんな努力が実を結び、少しずつ受注が入るようになり副業の方も忙しくなっていった。1日に睡眠時間が3時間あればいいほうで、働いていて15分休憩があると、トイレに駆け込んで寝ていることもよくあった。

 

そんな生活を続け、ホテルに入社して8か月後には、平均して月20万ぐらいの収益を出せるようになっていた

そこで、仕事を辞めてフリーランスになる決断をした。

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