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元記者の転職体験記②(絶望の社会人編)

転職体験記 2019.09.01

「マスゴミ」論者に送る元新聞記者による転職体験記です。

戯言(ざれごと)の類だと思って読んでみてください。

 

社会人1年目は三振ばかりしていた

「バリバリ働いて活躍するんだ」という淡い期待を胸に新聞社に入社しましたが、現実は厳しいものでした。

負のスパイラルにハマりすぎて、表情は抜け落ち、ストレスで体重は15キロ増加。

元々やせ型でしたが、サツマイモみたいな体形になりました。

 

少しだけ新聞記者という仕事の話をさせてください。

記者1年目はまず警察担当となり、県内の事件事故全てを取材します。

一日に数回、県内の各警察署や海上保安部へ「何か変わりはないですか」という警戒電話をかけます。

そして、どこかに取材に行き、1日に1本以上の記事を書く…等あげればキリがないですが、こんな仕事を主にしています。

 

社会人の1年目の頃は、根拠のない自信があったのかもしれません。

「たぶんこれはできるだろう」みたいなものができず、書かなければいけない原稿がどんどん溜まっていく。

そして、原稿の質も当然低く、上司や先輩から指導される毎日‥‥。完全に負のスパイラルにハマりこんでいました。

原稿も写真も大してうまくもならず、ただ毎日決められた仕事をやり切るのに必死でした。

 

 

それでも打席に立たなければヒットは打てない

仕事をしても三振ばかりで、完全にくすぶっていた1年目。

上司が変わったことで、2年目以降変化の兆しが生まれました。

 

もともと自分は受け身‥‥与えられた仕事をやるだけで、そこに「どうしたら成果をあげられるか」という志向はありませんでした。

記者というのが数字にあまり関わらないという部分から来ているのかもしれませんが、漠然と「面白い記事書きたい」と思うばかりでした。

 

異動してきた上司に、「お前、爪痕残そうとしてるの?」と問われました。

恐らく見抜かれていたのでしょう。言葉の意味が分からずにいた私に、何度も何度もその言葉を問いかけられ、叱られることも多々ありました。

三振ばかりしていて打席に立つことすら億劫になっていましたが、「どうしたらヒットを打てるようになるのか(仕事で成果を残せるのか)」を段々と意識して仕事をするようになりました。

 

受け身の姿勢ではなくなったことで、不思議と結果を出せるようになり、負のスパイラルを脱出。

1年目と比較して、仕事は楽しく、充実していました。

・雪が降りしきる中、夕方5時頃から朝3時頃まで人を待って、話を聞いた

・事件が連続して起きて、1か月間全く休みなく働いた

・取材相手を説得し、他社に先駆けて記事にしたetc…。

 

これらの経験が履歴書に全く書けないとわかり、絶望するのは次回のお話ですが、仕事でも成果が出て社内賞を受賞するなど充実していました。

 

上司は「親」じゃなく「ゲートキーパー」(門番)

そんな上司との出会いで、変わることができた私ですが、その経験からの気づきがあります。

それは上司は「親」ではないということ。

 

これまでは

「なんでこの人こんな厳しいんだ…」

「毎日起こられてばかりで辛い…」

とばかり考えていました。

 

ある時、上司が職場に子供を連れてきて、溺愛している姿を見て、上司と親の性質の違いについて考えるようになりました。

上司は、 仕事の質を担保するゲートキーパー(門番) です。質が低ければ指導が入るし、人によっては怒るかもしれない。

そこに愛情とかそういうものは基本的にないはずなんです、だって他人ですから。

そう考えると怒られる理由も納得することができ、仕事の質を上げる(=怒られない)だったので、自然と質を高めることを意識するようになりました。

基本的に上司は他人なわけです。何を言われてもそこまで気にする必要はないですし、仕事の質に対しての門番くらいに思っておけばいいと思います。

全人格でその言葉をそのまま聞く必要はありません。8割くらいは「うるせぇ」と思っておけばいいです。

 

小さな不満がシミのように広がっていった

人間というのは本当に強欲な生き物です。

「スランプ」から解放され、仕事での充実感を感じていましたが、今度は「自分の将来」について悩み始めるようになりました。

前回の記事でも触れたことですが、自分の能力や労働環境、今後目指していくキャリアなどを考えると、「このままだとまずいな」という漠然とした思いがありました。

それは、小さな不満でしかありませんでした。

ブラック企業で人権侵害されたり、最悪の上司に心を壊されたりしたわけでもなく、漠然と「今の仕事をしていていいのかな」と感じている程度のものでした

 

しかし、休みの日に同期や友人と集まって同じような愚痴を言い合う日々。

 

「愚痴を言い合っていても傷のなめ合いでしかなく、何も変わらない。変えたいのなら打席に立つしかない。口に入れてみないと良いも悪いも分からない」

 

そんなことを考え、転職活動を決意しました。

 

幸運なことに、取材を通じて知り合った人の手伝いをしていた関係で、やりたいことは明確に決まっていました。

その方向を目指して、転職活動を始めていくことになります。

 

全くゼロから始めた転職活動は苦労の連続でした。

 

次回は、

「転職活動なめていました、ごめんなさい」

「転職エージェントに失笑される」

「『こんな職に就きたい!』『無理です』」

の3本立てです。こうご期待

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